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メディアにおける希少種の報道について−2−

結論から書くと,公表・非公表を決めるのは各メディアの製作主体であるべきだと思う.ここの決定権が無くなってしまっては,ジャーナリズムの独自性が保てなくなるので,ここは間違い無いだろう.
一方で,あんどうさんからのご指摘のとおり,メディア独自で「【その後の保全策についての具体的な見通しが立った時】かどうかを判断することができない」というのも事実だろう.「記者個人のモラルや情報リテラシーの問題だ」と言ってしまえばそれまでだが,それでは同じことの繰り返しになってしまう.
理想的な形は「基準に該当する種(たとえばレッドデータブックに掲載されている種)の公開に際しては,関係行政機関(広島県なら県の環境保全室),専門家(レッドデータブックであれば,本に記載)および博物館施設(動物園・植物園・昆虫館・自然館 etc.)の意見を聞く」などのステップを内規として持っておくことだろう.そうすることにより,記事掲載に対する批判が出た場合にも,掲載に至る根拠を示せる.レッドリストに載っている種については,先の三者(特に専門家)に聞くことで,十分な情報を得られるのではないだろうか.
また,これら三者から「掲載を見合わせるべきだ」という意見が出たとしても,メディアの製作主体が「掲載すべきだ」と判断できる材料があれば,記事は掲載されるべきであると考える.同じ「掲載する」という結論に至ったとしても,見合わせるべきだという意見を覆すだけの材料を検討するという点で「意見を聞く」というステップに意味がある.
マスメディアにおけるこのような内規は,人権や個人情報に関わるものではかなり整ったものがあるのだと思うが,様々な取材を受けるかぎりでは,自然に関しては記者や担当者に判断が任されているのではないかという印象を受ける.ここでは自然のことを取り上げて議論しているが,他のことについても,記事掲載に関する姿勢がしっかりしている記者や製作主体ほどコンテンツへの責任意識も明確であるため,取材を受ける側も進んで情報を提供し,結果として良質のコンテンツを提供できるのではないかと思う.このことは,マスメディアだけでなく,ホームページなどで情報公開している個人にも当てはまることだ.
繰り返しになるが,今回の議論の発端になった記事についても,彼個人を批判することだけではなく,今後の予防策についての議論が必要なのだと考る.ただ,大前提として「ジャーナリズムの独自性」は認められるべきだと考えるので,外部からはあくまで意見・提案に留まるべきだろう.