2日前の中学校1年生から変わり,今日は小学校5年生と雲月山を歩きました.山焼き後の花と言えばショウジョウバカマの印象ですが,この日はもうほとんどの花が終わっていて,代わりにトキワイカリソウが見頃でした.焼け野に咲く花は,生命力に溢れていて美しいですね.
雲月山の山焼きと,それにまつわる学習は,雲月小学校が統合するまでの8年間積み上げていました.その間に,全国子ども草原サミットが開催されたり,広島県の「夢配達人プロジェクト」に採択されるなど,ナカナカいろいろなことがありました.学校の方でも,オリジナルの「I LOVE UZUTSUKI」という歌を作ったり,その歌を基調にしたオペレッタを創作したりして,これも各地で上演されました.2013年に小学校が統合された今では,「昔の話」です.
芸北小学校でも,昨年から草原学習を始めようとしたのですが,あいにく天候不順により,野焼きは中止でした.火を見ずに,そして炭の無い,山に登っても,子どもたちにはピンと来なかったようで,昨年の授業は締まらないまま終わってしまいました.
でも,今年は半数の子が野焼きを見学し,見学していない子も焼けた原を見ることで山焼きを想像できました.ようやく始まった感があります.雲月小が始めてから5年連続で中止が無かったのは,実はとっても幸運だったわけですね.
学習の内容では,雲月小では「生物多様性の保全」と「伝統的技術」に主眼を置いていたのを,今年からは「生態系サービスの認識とその利用」にシフトしてみようと思っています.
その理由の一つは,里山の生態系を保全する時に,保全をゴールにしてしまうと,保全にたどり着かないし,現実的でないからです.せどやま事業を進めるうちに,そのことは強く実感しています.緊急的には保全のための保全活動が必要ですが,将来を見れば,保全活動は何らかの形で社会システムに取り込まれなくては続きません.緊急的な活動は10年.その間に次の手を考え,実施しないといけない.
もう一つの理由は,雲月山の場合,火入れそのものは,なんとなく地域に根付いてきたように感じられるからです.地元の人や,消防団の雰囲気が,ずいぶん変わってきました.いきなり「生態系サービスの活用」の話しをしても,そもそも保全ができていなければ空論になってしまいます.雲月はサービスの話しができる基盤が整った,と感じます.
生物多様性の第1の危機と第2の危機は,両極端のように見えますが,里山は,その中庸にあったのではなく,両方を揺れ動きながら,つまり,常にいずれかの危機にありながら「行きすぎない」ところで揺れ戻っていた,のだと思います.せどやまも,草原も,湿原も,これから活用が増える中で,新たな危機に直面するでしょうが,今はまず,活用を進める局面なのだと思います.続きは今からで考える,ということで.